不思議な言い回し
こんな言い回しが気になるのは私だけだろうか。
・気になる言い回し・その1「嘘の説明をしているが、隠蔽はしていない」
毎勤統計不正問題で厚生労働省の特別監査委員会が出した結論。聞いて「えっ?」と思った。特別監査委の説明では「隠蔽は積極的に隠すという厳格な要件が必要」と説明しているが、「嘘の報告をする」ことと「積極的に隠す」ことにどれほどの違いがあるのだろうか。やはり、なぜ嘘の報告をしたのかとの疑念は残る。また、念のために辞書を引いてみると、隠蔽とは「おおいかくすこと」とある。「嘘を言うこと」とどう違うのだろうか。妙な言い回しである。
・気になる言い回し・その2「忖度していない」
森友・加計問題、また毎勤統計問題にもたびたび出てきた言い回し。「話はしたが忖度はしていない」「コミュニケーションは取ったが忖度はしていない」など。辞書を引いてみた。「忖度」とは「他人の心の中をおしはかること。推察」とある。普通、他人と話したりコミュニケーションをとるときには、相手の気持ちを忖度するのが普通のことである。それが人間関係をよくすることだからだ。今では接待ロボットでも相手に気持ちを忖度する。ましてや人間が相手の気持ちを忖度しないで会話するなどと言うことはまずないことだ。妙なことである。
結局これだから森友・加計問題にしろ毎勤統計問題にしろ、「解決した」という感じが国民の中に生まれないのだ。
NCNの取材で「御熊神社」へ
今日は日本海ケーブルネットワークの取材で鳥取市御熊にある御熊神社に行ってきました。
場所は白兎神社で有名な白兎集落から南へ2キロほど行ったところ。あいにくの小雨で本殿までの急坂を登ることができず、途中の鳥居付近での取材になりました。
取材の目的は、この神社周辺にある玄武岩柱状節理にまつわる伝説や神話を紹介するというもののようで、その説明役に駆り出されたものです。
まず玄武岩柱状節理。これは、横に積み重なったものは珍しいということで昭和49年に鳥取市の文化財に指定されています。
この柱状節理にまつわる伝説。
ここの神様がある時、一夜で隠岐の島まで橋を架けようと思い、石材をたくさん作って作業を進めていた。これをアマンジャク(天邪鬼)が邪魔をして、まだ夜が明けないのにニワトリの鳴き声の真似をした。これを聞いた神様は、もう朝が来たと勘違いして作業を中止してしまった。この時の石材が玄武岩の柱状節理というわけ。だからこの柱状節理は白兎海岸の淤岐の島の西側海底にもある。
御熊神社は延喜式に載るいわゆる式内社の一つで、祭神は阿太賀津建御熊神(あだかつたけみくまのかみ)。日本書紀によると、この御熊の神は別名を大背飯三熊 之大人(おおそびのみくまのうし)と言い、アマテラスがオオクニヌシに国譲りを迫った際、2番目に遣わされた神。ただし古事記には記載がない。
この近くには、国譲りの際の一番目の使者、天穂日神(あめのほひのかみ)を祀る神社や、その子・建比良鳥命(たけひらとりのみこと)を祀る神社もある。
なにやら壮大な物語がありそうな…。
もう一つ。
この神社には天目一箇神(あめのまひとつのかみ)が合祀されているが、この神は製鉄の神。この周辺は製鉄の場所だったのだろうか。近くに鍛冶屋谷、細工谷、石屑(こけら)谷といった名称のところがある。
とにかく、こんな山間地にこんな神社があるとは驚きだ。
皆さんもぜひ訪ねてみてほしい。
なおNCNの放映は3月2日(土)から。
ここまで媚びへつらうのか
驚き、かつあきれた。
トランプ大統領が「安倍首相が私をノーベル平和賞に推薦してくれた」と発言したという。
本人が言うのだから間違いないと思うが、できることならフェークであってほしい。
もし本当なら、あきれた話だ。
①そこまでトランプに媚びへつらうのか。
ここまで世界中を危機にさらしているトランプに平和賞はあるまい。おそらく世界中の首脳たちがあざ笑っているだろう。なぜそこまで媚びへつらうのか、国民の一人として恥ずかしい限りだ。
②ノーベル賞の品位を貶める。
政治家がノーベル賞を受けることに異存はないが、ノーベル賞の選考に”政治”を持ち込むなどあってはならない。もちろん選考委員会は毅然としているだろうが…。
安倍首相はまた、自民党大会で「自衛隊員の募集に自治体の6割が反対している。憲法に自衛隊を書き込み、スムーズに募集活動ができるようにしなければならない」という主旨の発言をしたという。
実際は、共同通信の調べによると、いろいろな形態はあるものの9割方は協力体制を敷いている。
嘘のデータを言って、それを改憲に結びつけようとしているのである。
そのこともけしからんことだが、ひょっとするとこれを機会に「改憲 → 徴兵制復活」をたくらんでいるのではないか。
背筋が寒くなる昨今である。
この人も逃げている
千葉県での小4女児死亡事件。
教育委員会や児童相談所の対応にいろいろ不審があるが、この人(児相所長)の記者会見での発言に唖然とした。
記者の「手落ちがあったと認識しているか」との問いに、しばらく考えた後、「足りない点があった」との答え。
そして「手落ちがあった認めないのか」との再度の質問にも、「不足の点があった」と答えたのだ。
いったいこの人はこの事件に対してどれほどの責任を感じているのだろうか。
児童相談所の仕事をどのように理解しているのだろうか。
こういう認識の所長の下では、おそらくまともな仕事はできていないだろう。
この児相の前には、教育委員会が父親の脅しに屈して、秘密であるべき本人のアンケート回答を父親に見せた、という問題もある。
この事件は「けしからん」「かわいそう」だけで済む問題ではない。
どこのだれに、どれだけの責任があるのか、これをはっきりさせなければならないと思う。
そうでなければ再発防止はできない。
両親を傷害の罪で罰するだけでは事は収まるまい。
「政局」にしようとしているのはどちら?
問題になっている基幹統計調査不正問題。
これが国の運営や政策立案の期間になる重要な問題であることは改めて言うまでもない。
だから、有識者と言われる方々は、「この問題は政局にすべき問題ではなく、与野党が一致して問題の本質を明らかし、再発防止を考えるべきだ」とおっしゃる。
その通りだと思う。
総理大臣も「深く反省し国民に謝る。問題の本質を明らかにして再発防止する」と明言する。
ところが、ところがである。
4日、予算委員会の論戦がが始まり、野党は真相究明のために何人かの証人喚問や参考人招致を求めている。ところが、それに対する委員長の反応は「その件は後ほど委員会理事会で協議します」となる。
総理大臣や担当大臣に問うても「国会運営は国会にまかせる」と逃げるだけである。
つまり、証人喚問や参考人招致にはきわめて消極的なのだ。
国会は立法府だが、行政を監督する責任もある。
証人喚問や参考人招致は行政監督に欠かせない条件ともいえる。
それが分かりながら「後ほど理事会で協議」とは、すなわち与党側が証人隠し、参考人隠しに走っているからに他ならない。
そうでなければ、なぜなすんなりと同意できないのか。
有識者は「政局にするな」と言う。なかには、あたかも野党の追及が常識外れだと言わんばかりのものもある。
しかし、この問題の真相究明を妨げているのはいったいどっちだろうか。
「政局」にしているのは、いったいどっちなのだろうか。
言いたくはないけれども、やっぱり言っておかなくてはならないと思う。